金沢市にある宝円寺を参拝してきました。宝円寺は利家とまつの寺として有名なお寺です。

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金沢市 曹洞宗 護国山 宝円寺

前田家の菩提寺(金沢市宝町)に行ってきました。

曹洞宗。前田家藩主一族の位牌が安置された菩提寺であり、墓所内には、利家の自画像と髪を納めた御影堂・御髪堂があります。

宝円寺は嘉慶2年(1388)に直伝正祖(じきでんしょうそ)によって創建されたと伝えられています。

前田利家は府中時代(福井県武生市から現:えちぜん市)に高瀬村(えちぜん市高瀬)の宝円寺の住持大透圭徐(だいとうけいじょ)に帰依(きえ)し、当寺を外護(げご)再興したといわれています。

ちなみに大透は利家と同じ尾張の出身です。

利家が天正9年(1581)に能登へ入国後七尾郊外に宝円寺を、大透を開山として招きました。また天正11年(1583)に、金沢に移封される際に宝円寺を城の東南(金沢市宝町)に建立し、天徳院とともに加賀藩、曹洞宗の触頭となって藩の宗教行政の一翼も担った。大透は、金沢の宝円寺からのちに七尾の宝円寺に退いて、寺号を利家の母の院号をとり長齢寺を建立。

なお、越前高瀬の宝円寺境内の墓地には、利家の父利昌の法体(ほつたい)石像と母竹野氏(長齢妙久大姉)の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が供養塔として祠堂に安置されています。

金沢市 宝円寺の歴史

1583年
前田利家が大透和尚を金沢へ招き、兼六園東隅に(護国山宝円寺)を建立。前田家の菩提寺となる。

1620年
大伽藍建ち並ぶ寺院として現在地に移転

1759年
大火で消失

1762年
復興

1868年
失火後、今の本堂を造営し現在に至る。

前田利家

(1539〜1599)
戦国時代の代表的武将の一人。
織田信長、豊臣秀吉に仕え、加賀百万石の大名まで出世する。晩年、徳川家康と対抗するまでの勢力を得るが、62歳で大阪で死去。その後、遺言に基づいて、菩提寺である金沢宝円寺で葬儀を行い、野田山に埋葬された。

仁王像
前田利家公寄進の仁王像。仁王は仏法を守護する役割を持つ。
高さ454cmの巨大な仁王像が本堂内に安置されているのは珍しい。

仁王像は、二対一組で配置される。向かって右側が口を開いた阿形(あぎょう)像、向かって左側が口を閉じた吽形(うんぎょう)像。阿には「物事の始まり」、吽には「物事の終わり」という意味がある。

吽形像は、一度焼失したが、その後造り直され、今にその力強い姿を伝えている。

本堂
国の登録有形文化財に指定
北陸三十三観音13番目札所

前田家ゆかりの墓所
前田家の場所は本堂の裏。
俵屋宗達の墓と言われる五輪塔もある。

拝観時間

・拝観時間:9:00〜16:00
・拝観料:500円
・朱印代:300円
・掛軸:500円

護国山宝円寺7つ巡り

その①:前田家ゆかりの墓所

宝円寺本堂の背後に前田家ゆかりの墓地があります。明治政府の廃仏 釈の方針により、神式の鳥居が墓の前に建てられたとても珍しい墓地です。

その②:前田家宗達の墓

風神雷神図屏風で有名な江戸時代の絵師俵屋宗達の墓地と共に眠っています。

その③:前田利家(御髪堂・御影堂)

徳川家康との関係が険悪になったとき、死を覚悟して家康いる伏見城に訪問。その前に自らの髪を切り、自画像を宝円寺に託し、土中に埋めさせたと言われるお堂です。

その④:地蔵堂

少林寺と三洞庵にあった地蔵菩薩の石像。
西国三十三観音菩薩の石仏と共に祀られています。山門の左側には、香林坊地蔵も祀られています。

その⑤:本尊 釈迦如来像

脇侍
文殊菩薩/普賢菩薩/十六羅漢(剃髪の分殊・普賢が特徴)

その⑥:仁王像

454cm巨大仁王
前田利家公寄進

その⑦:十一面観音菩薩

北陸三十三観音 十三番霊場
年に2回の御開(初観音・四万六千日)

他にも、不動明王/地蔵菩薩/鳥 沙摩明王が祀られています。

住所(アクセス)

金沢市の曹洞宗 護国山 宝円寺の住所

石川県金沢市宝町6-14

TEL:076-231-6050

まとめ

宝円寺は、当初今の兼六園東隅にありましたが、江戸時代に一向一揆対策のために小立野寺院群の中に移されました。

付近の石引には、金沢城築城の際に戸室山に産出する戸室石を運んだ道があり、「いし曳きの道」と言われ、町名の由来もそこからきています。

金沢城・兼六園方面から訪れることができる当寺は、道中に金沢21世紀美術館や石川県立博物館などもあり、見所が満載です。歴史に想いを馳せながら、当時をたどるように散策してみてはいかがでしょうか。