花山神社へ行ってきました。花山神社は、石川県小松市菩提町に鎮座します。花山神社は、静かな場所に建てられています。花山法皇の記事はこちらをご覧ください。

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今回の縁起をかつぐパワースポットは、石川県小松市菩提町にある花山神社へ参拝に行ってきました。

小松市 花山神社

花山法皇伝承の神社

寛和2年花山法皇が当地に行在されし時の御高徳を偲び、寛弘5年法皇が京都で崩御遊ばされた後、その御遺徳を慕い御守護の神と尊び、元の白山社と共に崇敬してきた。

同39年12月29日神饌幣帛料供進神社に指定されました。

現在の社殿は平成7年に新築造営されたものであります。

 

 

花山神社の由来

菩提町は大昔蛙子村と称された。

平安時代には三枝郷に属して、白山比咩神社の勢力圏にあった。

戦国時代には一向一揆の勢力下にあり、信長、秀吉の征伐によって山口宗永の領有となり、慶長5年(1600年)から前田家の領となった。

寛永16年(1639年)大聖寺藩領になり、那谷組二十二ヶ村の一として肝煎が村を治めていた。当初は戸数百戸に近く、如何なる山頭を開拓しつくし、草高も453石に及んだが、山村のこととて地味も悪く生活も困難となり、遂には僅かに七戸となり、田野は荒廃甚しく、遂には一村退転に及ばんとした。

藩主のすすめで、月津の由右エ門らがきて復興につとめ、その子孫が十三戸になった。

 

 

花山神社の御神体に関する記述要旨

一、菩提村花山神社に奉安される御神体は四体の本像であり、皆僧形にて内一体は頭巾を冠しており、これ花山法皇様で、他の三体は侍臣、藤原實定、藤原義懐、藤原惟成ならずやと。

二、花山法皇様奉葬の後、侍臣等、陵傍に草廬を結びその冥福を祈りたり、その子孫繫栄し、村を成すに至る。

三、菩提村の起源、法皇様の王柩を、法皇が丘に奉葬せる時、河原村より菩提院を此の地に移築せり、その後この地を菩提と呼ぶにいたると。

 

菩提の花山神社は明治の神社庁では白山神社になっていたが、明治以後菩提の心有る人は神社名の改称に努力して来たが、其の甲斐あって昭和五十二年正式に花山神社と命名された。

花山神社 御祭神

花山神社の御祭神は、菊理姫神(ククリヒメノカミ)

『日本書紀』の一書では黄泉国において伊邪那岐神と伊邪那美神の口論の際に現れ、これを収めたとされる神。

白山比咩神とも同一神されるが、神社によっては白山権現を指す場合もある。

まとめ

本殿には、前田家の家紋、梅鉢紋があります。

花山神社を参拝されたら、車で約10分のところに、花山法皇のゆかりの地があります。

お時間がありましたら、行かれてみてはいかがでしょうか。